Making of the World
作品世界の創作に影響を与えたものたち

誤解だらけのオオカミの生態

わたしたちはおとぎ話に毒されている

私たち現代人が抱くオオカミのイメージってもっぱら悪いですよね。「赤ずきん」や「三匹の子豚」、「七匹の子ヤギ」、といった有名な童話でも、騙して相手を襲う狡猾で邪悪な動物として描かれています。これは物語の発祥であるヨーロッパで、オオカミによる家畜の被害が度々あったためだと言われています。

オオカミは森には不可欠な存在

でもそれは人間側にとって都合が悪かっただけで、自然界ではオオカミは大事な役割を担っています。オオカミは森の生態系の頂点に立ち、アカシカやノロジカ、小動物などを獲物とします。オオカミたちがそういった生き物を捕食することで、森の生態系のバランスは上手く保たれています。シカのような繁殖力の強い動物は、捕食者がいなければ際限なく数が増えます。増えすぎた草食動物は森の植物を食べつくしてしまい、他の生き物の食べ物や住処を奪ってしまいます。

有名な例としてアメリカ合衆国のイエローストーンの事例があります。1920年代にオオカミが絶滅したこの地では、ワピチ(アカシカ)が大繁殖し、森や水辺の植物を食べつくし、植物だけでなく多くの動物たちが姿を消しました。それが1995年と96年にカナダからオオカミが再導入されると、植生が回復するだけでなく、土壌も安定し、水辺を住処とする動物や魚が増えるようになりました。そしてそれを獲物とする動物や、オオカミの食べ残しを食べる動物が集まり、生態系が回復しました。

さらにオオカミはすぐれた嗅覚で、獲物の僅かなにおいからその個体の体調を知り、病気にかかった個体を襲うので草食動物の群れの質が良く保たれるといいます。これは、オオカミの捕食により弱い個体が淘汰され、強い個体が子孫を残せるからです。

ふつうオオカミは人を襲わない

映画やゲームなどの世界では、オオカミは人間を見るなり襲い掛かってくる凶暴極まりない動物として描かれています。森が舞台のサバイバルゲームや映画では、人間は常にオオカミの脅威にさらされることになっています。
しかしオオカミの専門家たちからは、これは大いに間違った姿だと繰り返し指摘されています。オオカミはとても警戒心の強い動物で、人との接触は極力避けようとします。もし映画やゲームでの姿が本当だとしたら、毎年数多くの報告事例がありそうなものですが、実際のところほとんどありません。むしろクマやヘラジカなど、他の野生動物による人身事故のほうがはるかに多いです。

なぜ、人を襲うと思い込まれているのか?

此処では、筆者が考え得る限りの理由をいくつか挙げてみたいと思います。

1. 家畜を襲う悪しき生き物としての感覚の延長

ヨーロッパは伝統的に牧畜が盛んで、森を切り拓き、そこを畑や牧場にしていました。家畜は人々にとって大切な財産で、そんな家畜をオオカミに奪われるのは赦し難いことでした。またキリスト教では信徒は羊として表現されるため、羊を襲うオオカミは当時のキリスト教社会を脅かす他宗教の野蛮な侵略者とぴったり重なりました。また度重なる戦争や疫病で人が死に、ぞんざいに葬られた死体がオオカミによって掘り起こされたこともあったでしょう。こういったことから、オオカミはヨーロッパ人にとって大いに脅威の存在に思えたのかもしれません。

2. 野犬との混同

一方日本のような伝統的にオオカミに対して寛容な見方をしていた国でも、オオカミによる殺傷事件の記録はあります。平安時代の記録ではオオカミが頻繁に人里に来て子どもを捕食したとか、江戸時代に狂犬病が蔓延してたくさんのオオカミが人を襲った記録などがあります。こうしてみると、何もヨーロッパでのヒステリックな文化の影響がなくても、普通にオオカミは危険な動物なのでは?と思えるかもしれません。でも、この時代の日本人のオオカミに対する認識は随分いい加減なものだったと指摘されています。

日本のオオカミに特異な話として「山犬」という別称があります。これはどうも、野犬とオオカミが「山にいる犬」として一緒くたにされていたようなのです。というのも、当時の「狼」とされる動物の絵には、白黒の斑があるものがあったからです。江戸時代には犬は人口の約1割いて、そのほとんどは特定の飼い主がおらず徘徊していました。狂犬病などで人を襲うとしたら、実際のところはこういった犬によるものの可能性が高くないでしょうか。

日本に限ったことではなく、人間はオオカミよりも野犬の方を寛容に見てしまう傾向があるといわれています。家畜の被害はオオカミに限らず野犬によるものもあるのですが、野犬はあくまでも「家畜」という認識をされるので、捕食者としての能力を低く評価される傾向にあるそうです。一方で野生動物のオオカミは過大に評価され、害獣として認識されやすいそうです。実際、北米ではオオカミやコヨーテを見ると銃を取る牧畜業者も、ゴミをあさる野犬は見ても無視することが多いのだとか。日本での事例に限らず、世界各地でこういった野犬とオオカミが混同され、「攻撃的なイヌ科は全部オオカミ」と思い込まれているのかもしれません。

3. 不適切なオオカミとの接触がイメージ悪化を加速させた

とはいえ、オオカミが全く人を襲わないのかというとそうでもありません。オオカミが人間に対して実際に攻撃的になる場合はいくつかあります。その主な原因は人馴れや狂犬病であり、他にも、遭遇した人間がパニックを起こし、背を向けて逃げ出してオオカミの狩猟本能を刺激した場合があります。そしてごく稀なケースですが、オオカミが子育て中に餌動物を人間の乱獲によって突如失った場合もあります。

このように、人身事故の原因の多くが人間によるものです。しかし一旦そういった不幸な事例があると、まだきちんとした科学的調査がされる前の時代では「オオカミはとても危険な動物だ」とみなされてしまいます。それがヨーロッパをはじめ人々の意識に深く刻み込まれ、おとぎ話やエンターテインメントの世界で、実態からかけ離れて凶暴に描かれてしまうことになったのでしょう。

オオカミの群れは恐怖が支配する殺し屋の集まりではない

オオカミの群れと聞くとどんな姿を思い浮かべるでしょうか。常に牙を剥き合い順位争いが絶えず、「アルファ」と呼ばれる絶対的権力をもつオスのリーダーが力と恐怖で群れを支配しているイメージでしょうか。
この認識は100%とは言いませんが大いに間違っているところがあります。確かにオオカミは序列を重んじる動物です。しかし、野生のオオカミの群れは私たち人間にとても馴染み深いものでした。

野生のオオカミの群れは「家族」が基本

一般的にオオカミの群れは英語で「ウルフ・パック」と呼ばれ、順位の高いものから順に「アルファ」「ベータ」最下位に「オメガ」と呼ばれています。筆者がオオカミについて調べるにあたって様々な著作(下記一覧)を読んでいても、この名称は頻繁に出てきます。

しかし、この呼び方はオオカミの群れを正しく理解できないと指摘する声も多くあります。実はこの「アルファ」や「ベータ」といった厳格な順位の表現は、野生下ではない、囲いの中に入れられているオオカミの行動をモデルにしたものだからといいます。互いに面識がなく、逃げ場がない環境下では互いに争って順位を決め、「アルファ」や「ベータ」といった明確な順位ができあがります。
でも、自然界でのオオカミの群れは囲いの中の状況とは異なります。野生下では、オオカミの群れは基本的に繁殖可能なオスとメスをトップに、その子どもたちや兄弟で構成されています。すなわち「家族」です。子どもたちは成長して繁殖可能な年齢になると群れを出て行き、新たにつがいを見つけ、群れを形成していきます。

両親と子どもたちだけで形成されているもの以外にも、祖父母や叔父叔母がいる場合、養子を含んだ拡大家族、家族の寄せ集めなど、オオカミの群れにはさまざまなものがあります。アメリカでは過去に37頭もいる大規模な群れも存在しましたが、そのような血縁関係のないオオカミが複数いる場合(厳密には3世代以上かつ2腹以上)には、そのリーダー格のオオカミには「アルファ・オス」や「アルファ・メス」という呼び方ができます。

よく聞く話としては、このリーダー格のペア、すなわち「アルファ・ウルフ」しか繁殖できないと言われています。しかし自然界では下位の順位のオオカミたちが繁殖する例も数多く報告されています。この場合、群れに外から加わった血縁関係にないオス(アダプティーと呼ばれる)と、群れにもとからいるメスが交尾するのだそうです。また或いは、下位の順位にいる重圧から逃れるため、早く群れから出て行き、交尾相手を探すこともあるのです。

つまり野生下でのオオカミの群れというのは、飼育下のオオカミと比べて序列の線引きが曖昧であり、厳格ではないのです。

オオカミの群れは愛に溢れている

オオカミはとても家族愛に満ちた動物であり、仲間を守るためには自己犠牲も厭いません。仲間が怪我をすれば助け、面倒を見、食べ物を運んできます。こういった「やさしさ」は群れの絆を強くし、群れの維持や仲間の生存率の高さにもつながります。

子育ては群れの大人たちが全員嬉々として参加するし、最下位の順位のオオカミにも必要最低限の食事や寝る場所は与えてくれます。群れの中の序列は概ね立場や年齢順で成り立っていますが、時にはそれを無視して無邪気に遊びまわることもあります。

また夫婦間の絆はとても強いもので、いったん絆が作られると死ぬまで同じパートナーと暮らします。どちらかが群れ同士の争いや人間に殺されると、その死を深く悼むといわれています。ある学者の報告によれば、ハンターに殺されたメスのオオカミを、つがいのオスが土に埋めて10日間覆いかぶさっていた事例があるそうです。

これは補足ですが、一般的にオオカミは縄張り意識がとても強いので、縄張りの境界線ではよく争いが起きます。しかし、交友関係によって争いを緩和させる場合があります。既存の群れから飛び出してきた個体がつがいとなって新しい群れを形成し、近くに新しい縄張りを構え、時々元の群れに里帰りして旧交を温めるのです。こうすることで隣接した親族の縄張りが、争うことなく平和に保たれます。

polygonal wolf

参考文献

  • 「一般社団法人 日本オオカミ協会オフィシャルサイト」 〈http://japan-wolf.org/〉
  • 丸山直樹著(2012)『フォレスト・コールNo.18[特集]オオカミ復活についての疑問に答える最新Q&A』 2012年4月13日号 一般社団法人 日本オオカミ協会
  • 『フォレスト・コールNo.19』 2013年6月15日号 一般社団法人 日本オオカミ協会
  • ブレット・ウォーカー著 浜健二訳(2009)『絶滅した日本のオオカミ―その歴史と生態学―』 北海道大学
  • ラガッシュ・C.-C.、G.ラガッシュ著 高橋正男訳(1989)『狼と西洋文明』 八坂書房
  • 「シリーズ 地球と生きる、オオカミとの戦い 2010年3月号 ナショナルジオグラフィック」 〈http://nationalgeographic.jp/nng/magazine/1003/feature02/illustration/index.shtml〉
  • 中村一恵、樽創、大島光春著(1998)『オオカミとその仲間たち―イヌ科動物の世界―』 神奈川県文化財協会
  • ショーン・エリス、ペニー・ジュノ著 小牟田 康彦訳(2012)『狼の群れと暮らした男』 築地書館
  • 渡辺一史著(2012)『北の無人駅から』P.93-190. 北海道新聞社
  • 桑原康生著(2014)『オオカミの謎:オオカミ復活で生態系は変わる!?』 誠文堂新光社
  • ジム&ジェイミー・ダッチャー著(2014)『オオカミたちの隠された生活』 X-knowledge
  • ニック・ジャンズ著 田口未和訳(2015)『ロミオと呼ばれたオオカミ』 X-knowledge
  • ギュンター・ブロッホ著 今泉忠明監修 喜多直子訳(2017)『30年にわたる観察で明らかにされたオオカミたちの本当の生活—パイプストーン一家の興亡』 X-knowledge